豊かだからこそ不幸
どうして日本人の若者は「自分のやりたいこと」が分からないのだろうか。
一番の理由は「具体的な不幸」がないことである。
「具体的な不幸」とは食料、住居、衣服などの最低限の必要消費物資や、安全な飲料水、衛生設備、公共輸送手段、保険、教育などといった「人間としての基本的ニーズ」の欠如である。
もしも自分の身近なところでこういう「具体的な不幸」を実感できれば、その不幸を埋め合わせようとして必死になるうちに、「やりたいことが自然に出てくるはずだ。
以前中国の大学の留学している日本人大学生にインタビューしたことがある。彼らの多くはこう語った。「中国の学生はみんな、しっかりした目標を持って勉強している。それに比べて日本人の学生はなんとなく勉強をしているだけで、なんら目標を持っていない。自分でも情けなくなった」
この感想を聞いて、「日本人の大学生も中国人の大学生のようにしっかりした目標を持って勉強するべきだ」というのは簡単だ。しかし、中国と日本の置かれている状況は全く異なっているという点を忘れてはならない。
よく知られているとおり、中国は近代化の発展途上にある国だ。「欧米や日本に追いつけ追い越せ」をスローガンに国民は物質的により良い生活を目指して邁進している。多くの国民は、未だ物質的に欠乏した状態にあり、その欠乏感を埋めることを目標に必死で生きているのだ。
一方の日本は、物質的な欠乏状態をとっくに抜け出している。
国民はお腹いっぱいなのだ。
Amazon.co.jp: 働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。: 戸田 智弘: 本
この文章を読み終えるや否や、これをブログに書かなければいけないという強い欲求が自分に働きかけた
なるほど
確かにそうかもしれない
日本はあまりにも恵まれている
例えば
水がどこでも安全に飲める
治安がいい
最低限度の生活が保障されている
ただそれらが必ずしもいいとは限らないということを多くの日本人は知らない
日本はあまりにも豊かであるので、家庭や生活環境を変えなければならないという必要がないため「危機感」というものが無いに等しい
この「危機感」のなさが日本人の意識の低さにつながっているのでは無いだろうか
人格形成とは環境
よく日本は世界で国民幸福度が世界中の国と比較されるがそれが低い理由もそのはず
豊かだからこそ不幸なのである
というのは言い過ぎかもしれ無いが、豊かすぎることもときには障害となり得るのだということを多くの人に気づいてもらいたい
一人暮らしか、実家暮らしか
自分で学費を払うか、親に払ってもらうか
推薦入試なのか、一般入試なのか
時給制なのか完全歩合制なのか
母子家庭なのか、一般家庭なのか
例えばそういったような違いが、意識の差を生むのである
よく日本人のことを世界と比べて批判したがる日本人のあっくんからの投稿でした