格差のもとは知識の差
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉があります
つまりこういうことです
人間が生まれた時は、皆同じ階級で、生まれつき高貴な人と賤しい者の差もなく、万物の霊長としての心と体で、自然界のあらゆるものを使って衣食住を賄っていた
一人一人が、人の邪魔をせず、自由に世渡りをしていたのだ、と
これはあの一万円札でおなじみの福沢諭吉が記した「学問のすすめ」の冒頭に出てくる一節を現代語に置き換えたものです
彼はこう述べています
賢人と愚人との差は、学ぶか、学ばないかによって生まれるものなのです
ただ学問をして物事をよく知る人は地位の高い金持ちになり、無学な人は、貧しい人になり、地位の低い人になるのです
学問のすすめの冒頭では「格差のもとは学問の有無にある」というタイトルで学問の力があるかないかによって差が生まれてくるということが述べられています
読み始めるや否や、これには頷けられた
確かに現代社会でも官僚や政治家に然り、頭のいい人が当然お金持ちになり、学歴が乏しい人には出来る仕事が限られてくる
この本を読み終えてやはり福沢諭吉は日本を代表する文化人であるということを認識させられた
しかもこれが約140年前に書かれれたものであるのに、現代社会にも通じる内容が多く書かれているということが驚きだ
これは日本人として読んでおくべき本に違いない
学問のすすめ (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ1)
- 作者: 福沢諭吉,奥野宣之
- 出版社/メーカー: 致知出版社
- 発売日: 2012/09/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ただ学歴関係なく高収入の仕事なんか世の中にはたくさんあると思う
語学に精通してる者なら、教師や通訳、翻訳なんかあるし
ルックスに自信がある者なら、モデルとかやればいい
専門知識があるならその道の仕事があるし
芸を持っていればメディア関連の仕事を目指せばいい
要は何が大事かっていうとその仕事に対しての知識も自信もないのに頑張って目指すよりも、今自分が持っている才能や特技、強みを生かしたことに対して努力を注ぐことだと思う
できないことに対して全力を注ぐよりも、できることに対して全力を注いだ方がはるかに生産的ではないだろうか?
自分の天職をみつけること
自分にはどんな才能があり、何ができるのか?
つまりは自分自身をより深く知ることこそ、人生のヒントが眠っているように思える
それにはやはり知識がものをいう
ここでいう知識というのは座学だけでなく経験によって培われた知識や、教養としての知識である
ただもともと知識がなくても自分のことが良くわかっており、どうすればいいかというのが感覚的にわかる者もいる
それも一種の才能であるが、そういった人はほんの一握りである
結局知識のある頭がいいやつが得をして、知識がない頭の固いものが損をする
それがこの現代の世の中
自分は合理主義者ではないが、そんなふうに世の中を捉えている
メンタルは強さは世界一だと思ってる楽観主義者のあっくんからの投稿でした